『東京の色100』051~055

051 並木藪そばの色

「更科」は信州、「砂場」は大坂、そして「藪」は江戸の蕎麦と言われる。1735年(享保20年)の書誌に「雑司ヶ谷の蕎麦切り ぞうしがや鬼子母神門前茶屋同所藪の蕎麦切り」という記録が既に残っており竹藪に囲まれた場所に在ったことが藪蕎麦の語源らしい。

この由緒正しい江戸の蕎麦が、現在藪御三家「神田藪」「並木藪」「池之端藪」として血脈と共に受け継がれ、「並木藪」は大正2年当時の浅草並木町に店 を構えて今に至る。(編集部注:池之端藪閉店)蕎麦の色は、更科ほど明るくはないが明るい灰汁色、ほのかな風味を残して柔らかい。「神田藪」のHPに蕎麦粉と小麦粉の割合は、10:1と記されてる。おそらく「並木藪」も近い割合と思われる。なるほど十割蕎麦ほど色も味も濃くはない。各誌で高く評される伝説のツユは、黒に近い濃くて深い赤褐色でその味は一言で言って辛い。アミノ酸の複雑に入り混じった味ではない、醤油、砂糖と鰹だしと絶妙な配合が生み出すシンプルで主張の強い味は、まさに色のとおりで期待を裏切らない。いつもの調子で蕎麦にツユを絡ませると辛すぎる。白くて細く喉越しの良い蕎麦の先っぽだけチョンとツユに付けて一気に啜り上げるのが江戸っ子の粋な蕎麦の食し方?

山葵(は、ツンと来る辛みのない甘い風味の本山葵と思われる


明るい浅緑色。濃口のツユに溶いてもほとんど味はわからないが蕎麦湯で割って飲むときに甘い風味が色のとおりの優しさと爽やかさで口の中に拡がり食の終わりに余韻を残す。

「並木藪」は、ザルを裏返した凸面に薄く盛られる。思いのほか少量で小腹は足るが、空腹は満たない。これも江戸の粋か?あるいは痩せ我慢?

 

CMFデザイナー 安岡義彦

蕎麦

マンセル値:10YR 7.5/1

NOCS10YR14.8

蕎麦つゆ

マンセル値:10YR 7.5/1

NOCS10R1.215.6

山葵

マンセル値:12.5GY 8.5/2.5

NOCS2.5GY2.91.4



052 浅草寺本堂の屋根

浅草観光の人気スポットであり、年間約3000万人の参詣者が訪れる浅草寺は、都内最古の寺院だそうです。雷門から宝蔵門に至る表参道は仲見世と呼ばれています。仲見世通りの両側には土産物や和菓子などを売るお店が軒を連ね、平日休日を問わず参詣者の人だかりで連日大賑わいです。

本尊の聖観音像を安置するために観音堂とも呼ばれる本堂は、鉄筋コンクリート造であり、1945310日に惜しくも戦災で焼失した旧本堂と同形態だそうです。

屋根は2009年から2010年にかけて行われた平成本堂大営繕によって、チタン成型瓦が採用されています。瓦の使用色も


2色から3色になり、より粘土瓦に近い風合いが感じられるようになっています。光沢のある銀鼠色が非常に印象的です。

素材が変わって軽量化され、耐久性も良くなっているようですが、傾斜のある形状と相まって屋根がより大きく感じられ、重厚感もあり、その存在感は圧巻です。

 

カラーコーポレーション クリマ 依田 彩

マンセル値:5Y 60.5

NOCS5Y0.58



053 駒形どぜう(建物・暖簾)

創業は享和元年(1801)の駒形どぜう。開店当時から浅草寺にお参りする参詣ルートのメインストリートであり、店は大勢の客で繁盛したそうです。渋谷店もありますが、浅草本店は江戸時代の代表的な商家造り、出し桁造りを用いているそうです。趣の感じられる外観は、N2程度の黒で歴史の重みが感じられるとともに提灯の赤を印象的に見せています。開店当時は大名行列を見下ろすことがないよう、通りに面した二階には窓がないそうです。店の暖簾に書かれた「どぜう」の文字は、文化3(1806)の江戸の大家によって店が類焼した際に「どぢやう」の四文字では縁起が悪いと当時の有名


な看板書きに頼み込み、奇数文字の「どぜう」と書いてもらったそうです。年月を経て少し色あせたPB系の日本人好みの藍色の暖簾に歴史の風情が感じられます。夏季は麻暖簾に変わるようです。夏季にも是非測色に行かねば、ですね。

 

カラーコポレーション クリマ 依田 彩

マンセル値:N2

NOCSN2

暖簾

マンセル値:2.5PB 3.5/2

NOCS2.5PB2.411.6



054 浅草梅園の豆かん

東京らしい食べ物の中に「豆かん」がある。豆と寒天に黒蜜をかけただけのシンプルな食べ物で、豆寒天を縮めて「豆かん」と呼ぶようになった。浅草ではこの「豆かん」を商う店として「梅むら」と「梅園」が古くから有名で、店先にはいつも多くのファンが並んでいる。

今回は浅草に幾つかの店舗を持ち、お土産も求めやすい「梅園」に立ち寄った。この梅園の創業は安政元年(1854)だそうで、庭に梅の木があった浅草寺別院梅園院(ばいおんいん)の一隅を借りて、茶店を開いたのが始まりである。梅園は粟ぜんざいでも有名だが、「豆かん」もなかなか美味しい。梅園の豆かんは塩豆(赤えんどう豆)と寒天に黒みつをかけて食べるが、塩味のきいた黒いえんどう豆と甘い黒みつがよく合う。見た目は素朴な感じだが、寒天の感触もさわやかでなかなか味わい深い。この店の豆は少し赤みを持った黒色で、半透明の寒天との対比もさわやかだ。寒天と黒蜜と塩


豆が混ざらないように、三段に分けてあるパッケージは紫に白抜きで梅があしらわれており、これも多くの東京人に親しまれている。

 

色彩計画家/クリマ代表 吉田愼悟

マンセル値:7.5R 23

NOCS7.5R2.315



055 浅草海苔

 海苔は周りを海に囲まれた日本の国民的な食べ物であるが、あらためて見ると複雑な黒で美味しそうには見えない。今では寿司は世界的に有名になり、海苔を知る人も多くなったが、745年にパリで寿司パーティーを開いた時には、フランス人はこの黒い紙のような食べ物を敬遠していた。しかし、食べてみれば美味しさは分るもので、その後何度か寿司パーティーのリクエストがあった。

日本における海苔の歴史は古く、10世紀頃には甘海苔や紫海苔の名称で日本の食文化に定着していたようだ。海苔は古くは天然のものを採るだけだったが、江戸時代になると養殖技


術が確立し、東京湾で採れた海苔を和紙を漉く技術を用いて紙状に延ばして、板海苔が完成したと言われている。

海苔の色は産地によって多少異なるが、「江戸前海苔」として売られていた東京湾の海苔の色を測ったところ、5G 31という少し緑味がかった低明度・低彩度の色値が得られた。烏賊墨で口の中が黒くなった経験はあるが、世界中で黒い食べ物はあまり一般的ではない。それも緑味がかった黒は神秘的で食欲をそそる色ではないだろう。海苔は不思議な色の食べ物だ。

 

色彩計画家/クリマ代表 吉田愼悟

マンセル値:5G 31

NOCS5G1.313.6